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東京地方裁判所 昭和31年(ワ)2046号 判決 1958年3月24日

原告 後藤昌次郎

被告 国 外一名

主文

被告東京都は原告に対し、金二万円及びこれに対する昭和二十九年六月十九日以降完済に至るまで、年五分の割合による金員を支払え。

原告の被告東京都に対するその余の請求及び被告国に対する請求を棄却する。

訴訟費用中原告と被告国との間に生じた分は原告の負担とし、原告と被告東京都との間に生じた分はこれを二分し、その一を同被告の、他の一を原告の各負担とする。

事実

原告訴訟代理人等は「原告に対し、被告東京都は金九万円、被告国は金二万円を、それぞれ昭和二十九年六月十九日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を併せ支払え。訴訟費用は被告等の負担とする。」旨の判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求原因として次のように述べた。

(一)、原告は昭和二十九年四月以降東京弁護士会に所属して弁護士の業務に従事しているものである。

(二)、原告は同年六月十五日、「アカハタ」販売等に従事する訴外日高正夫より、同訴外人の仲間の一人がその前日の夕刻頃、東京駅八重州口南側で、「アカハタ」立売中、公務執行妨害罪等の容疑で鉄道公安官に逮捕され、東京都警視庁管下丸之内警察署に留置されているから右被疑者の弁護人になつてもらいたい旨の依頼を受けた。

(三)、そこで原告は右被疑者に面接して直接同人から弁護人選任の依頼をうけるため、前記日高と共に、同日午後五時頃、丸之内警察署を訪れ、来意を告げたところ、当時丸之内警察署公安主任の職にあつた警察職員たる訴外細野進がカウンターに現われ、「本件は公安事件であり、黙否権を行使しているから弁護人と、接見させるわけにはゆかぬ。このことは法律に規定してある。」と云つて被疑者との接見申出を拒否したので、原告がその法律上の根拠を問いただしたところ、右細野は前同様の返事を繰返して「弁護士なら知つているでしよう。」と云うので、原告は念のため鞄より小六法全書を取り出して刑事訴訟法の部分を開き、「どこにそう云う規定があるか示してほしい」と云うと、同人は言葉に窮してか、多数の警察職員その他の人達のいる前で大声で原告に対し、「弁護士なら知つている筈だ。そんなことを聞くと胸のバツチが泣くぞ、帰れ帰れ。」と云つて原告の名誉を毀損した。

(四)、以上の如く、細野が法的根拠を示すことなく接見拒否の態度を固持し、一方的に話し合いを打切ろうとしたとき、偶然、その場に丸之内警察署長の職にあつた警察職員である訴外石田昇が現われたのであるが、原告はその服装年令等から推して上級の警察官であると思つたので、同人に対し、被疑者との接見の件で話し合いをしたい旨申入れたところ、同人は原告を署長室に招じ入れた。そこで原告は同室内で右石田と対座して用談を始めたが、その間、同人の傍には丸之内警察署の警察職員である訴外山水利仁が傍聴していた。

(五)、原告は右石田に対し、被疑者の知人に依頼されて丸之内署を訪ね、被疑者との面接の申出をしたが、前記細野からこれを拒否されたから改めて被疑者に会わせて貰いたい旨申入れたところ、石田より右被疑者に関する事件の内容を問われたので「アカハタ」の駅売中、道路交通取締法違反に問われて逮捕されたものと思う旨答えた。右石田は初め比較的穏やかな態度であつたが「アカハタ」云々の言葉を耳にするや忽ち顔面紅潮し、原告の答え終るのも待たず「君は弁護人でないから会わせるわけにはいかん、殊にこの事件は公安事件で黙秘権を行使しているからだめなことは分りきつた話だ。」と云うので、原告はそれは拘束されている被疑者の黙秘権を無視し、弁護人選任権を奪うもので不当である旨並びに刑事訴訟法第三十九条第一項の解釈に関する原告の見解、すなわち、同条項にいう「弁護人を選任することができる者の依頼により弁護人になろうとする者」とは、弁護人の選任権者の依頼がすでに存して、その依頼によつて弁護人になろうとする者に限られるものではなく、選任権者の依頼は未だないが、その依頼をうけることが予想される場合に、その依頼をうけて弁護人になろうとする者も含むものと解すべきであることを説明し、原告も弁護人になろうとするものであるから当然接見が許さるべきである所以を説明しようとしたが、右石田は「弁護人だろうが、弁護人となろうとする者であろうが、検事の接見禁止命令が出ているから何と云おうが会わせるわけにいかん。」と云うので、原告が検事には訴訟法上接見禁止命令を出す権限はないこと、それに未だ送検にもなつていないこと、仮りに、そのような命令が出ても法律上の根拠のないことであり、根拠もない命令に従い法を無視するのは不見識である旨の見解を述べるや、右石田は「青二才のくせに生意気云うな。今は丁度暇だから退屈しのぎに聞いてやるから屁理屈を云うなら勝手に云つたらいゝ。」と放言して原告を侮辱した。

(六)、以上のようにして原告は前記細野、石田等によつて被疑者との接見の申出を拒否され、被疑者を不当拘束より救出すべき方法が奪われてしまつた。そこで原告と同様、前記日高より依頼をうけた東京弁護士会所属弁護士訴外柴田陸夫は翌十六日午俊三時頃被疑者が東京地方検察庁に護送された機会に同庁同行部屋において検察庁刑事部総務課所属の訴外小淵辰五郎に依頼して被疑者から弁護士である岡林辰雄、柴田陸夫及び原告の三名を弁護人に選任する旨の弁護届(但し被疑者の署名はないが、被疑者名欄下に「丸之内署留置番号第八百二十六番」と記載して拇印を押し、なおこの拇印が右第八百二十六番の拇印であることを前記小淵辰五郎が認証してあるもの)を入手するという例外的手段に出でることを余儀なくされた。

(七)、そこで、原告は同月十七日午前十時半頃、被疑者の担当検察官である東京地方検察庁特別捜査部勤務の検察官事務取扱副検事である訴外内田博郎を同検察庁の居室に訪ね、右弁護届と原告の名刺を呈示した上で、被疑者との接見に関する指定書の下附を申出たところ、原告が弁護士記章を佩用し、また、名刺を通じてあるので、右内田は原告が弁護士の後藤昌次郎であることを十分認識して居つたにも拘わらず「この弁護届は本人のものかどうか分からない、あなたも弁護士の後藤昌次郎であるかどうか分からない。」と云うので、弁護届を示して入手の事情を説明したところ、右内田は拇印を認証している小淵辰五郎なる者の存在が架空のものであるかの口吻を示していたが、小淵の存在が明らかとなるや、同人をその場に呼び寄せ同人に対し「このような公安事件で弁護人の接見を許してはだめではないか。」と云つて叱りつける一方、原告に対し「この弁護届が被疑者の作成したものであることは分かつたが、その氏名を書いてないから無効である。だから接見指定書を出すわけにはいかない。」と云うので、原告が弁護届の効力については争があるかも知れないが、しかし、原告が被疑者本人から弁護の依頼をうけているということは、この弁護届と先の小淵氏の証言で明らかな筈である。従つて、接見を認めたいのは違法である旨主張したところ、右内田は「さつきも云つたようにあなたが弁護士の後藤昌次郎であるかどうか分からないから、接見させるわけにはいかない。」と不当な言を弄して原告を侮辱した。

(八)、原告はその非常識にれたが、念のために、直ちに原告の所属する東京弁護士会の身分証明書を得て、右内田に提出したが、内田はこれを受理せず、また、接見指定書も交付しなかつた。

(九)、原告はなお右内田に対し、再考を求むるため、翌十八日再び内田に面会して接見指定書の交付を要求したところ、ここに至つてようやく内田は同日午後四時から十五分間丸之内警家署において被疑者と面接すべきことを指定して接見指定書を交付した。

よつて原告は右指定時刻に丸之内署を訪れたところ、前記細野より「内田副検事が話したいことがあるから地検まで戻るように云言があつた。」と告げられたので、原告は直ちに東京地方検察庁に戻り内田に面会したところ、同人は原告に対し、「黙否権を行使していると弁護届を受理できない旨被疑者に伝えてほしい。」と云うのである。これは不当の口実を構えて弁護人を利用し、被疑者の黙否権の行使を侵害させようとするものであり、弁護人に対しかかる伝言をするに至つては弁護人を侮辱するも甚しい。

(十)、以上要するに、前記細野で、石田は被疑者との面接を求めた原の申出に対し、不当にこれを拒否したのであるが、その当否はしばらくおいても接見を申出た原告を応待するに当つて、細野が「弁護士なら知つている筈だ、そんなことを聞くと胸のバツチが泣くぞ、帰れ帰れ。」と云つたこと、石田が「青二才のくせに生意気云うな、云々。」と放言したこと、並びに、内田が「あなたが弁護士の後藤昌次郎であるかどうか分からない。」と述べ、且つ、原告を呼び戻して「黙否権を行使していると弁護届を受理できない旨被疑者に伝えてほしい。」と述べたことは、原告の名誉を著しく侵害する不法行為であり、原告はこれがため甚しく屈辱を蒙り、精神的損害を受けたのである。これを金銭に換言すれば細野の所為につき金三万円、石田の所為につき金六万円、内田の所為につき金二万円を、それぞれ下らない。

(十一)、而して、前記細野及び石田はいずれも当時東京都警視庁所属の警察職員であり、前記内田は東京地方検察庁所属の検察官である。

同人等の前記不法行為はいづれも原告の被疑者との接見の申出に対し、関係職員として応待する中で行なわれたもので、それぞれ公共団体又は国の公権力の行使に当る公務員として、その職務の執行をなすについて原告に前記の損害を加えたものである。

よつて、国家賠償法第一条第一項の規定により、被告東京都に対しては細野、石田の加えた損害合計金九万円、被告国に対しては内田の加えた損害金二万円を、不法行為のなされた後の日である昭和二十九年六月十九日以降完済に至るまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金を併せ支払を求めて本訴に及んだ。

と述べ、立証として甲第一号証を提出し、証人石田昇、同細野進、同内田博郎、並びに原告本人の各尋問を求め、乙、丙号各証の成立を認めた。

被告国並びに同東京都各指定代理人等は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」旨の判決を求め、答弁として

被告国指定代理人等は、原告主張の請求原因事実中、昭和二十九年六月当時原告が東京弁護士会所属の弁護士であつたこと、同月十四日丸之内警察署留置番号第八百二十六番なる被疑者が公務執行妨害罪等の容疑で同署に留置されていたこと、訴外東京地方検察庁特別捜査部勤務の同地方検察庁検察官事務取扱副検事内田博郎が右被疑者に対する被疑事件の担当検事であつたこと、原告がその主張の日時頃その主張の弁護届を持参して東京地方検察庁に右訴外内田博郎を訪れ、同人に対し留置中の右被疑者との接見に関する指定書の下附を申出て同人と面接したこと、その際同人は右接見に関する指定書を交付しなかつたが、翌日これを交付したことはいずれも認めるが、右内田がそれぞれ原告主張の如き侮辱的言辞を弄したとする点は否認する。

原告その余の主張事実も争う。と述べ、

立証として乙第一号証を提出し、証人内田博郎の尋問を求め、甲第一号証の成立を認めた。

被告東京都指定代理人等は、原告主張の請求原因事実中、原告が昭和二十九年六月当時弁護士であつたこと、原告が同月十五日(午後三時頃)丸之内警察署を訪れ、当時同署公安主任の職にあつた警察職員たる訴外細野進に面会して同月十四日公務執行妨害罪の容疑で同署に留置されていた被疑者との接見を申出たが、同訴外人がその申出を容れられなかつたこと、更に原告が同署々長の職にあつた警察職員たる訴外石田昇と署長室で面会したこと、その際同署の警察職員たる訴外山本利仁が在室していたこと、原告が右石田に対し被疑者に会わせて貰いたい旨申入れたが右石田が原告に対し右申出を容れなかつたことは認めるが、原告その余の主張事実は争う。

原告が訴外細野進に対し被疑者との接見を求めた際、細野は、刑事訴訟法第三十九条及び警察庁犯罪捜査規範第百六条に基き、「接見は被疑者の指定によるか、弁護人選任権者の依頼がなければ接見できない」旨答えた。ところが、原告は、細野に小六法全書を示して大声で、「馬鹿野郎、そんな規則はどこにある。出して見ろ。」と威猛高になり冷静を欠くに至つたので、細野はこれ以上応答するに由なく会見を打切つたものである。

また、訴外石田昇は署長室で原告と面会した際、原告が原告主張の被疑者との接見を求めたので、前記細野と同様理由でこれを拒絶したところ、原告は小六法全書を開いて石田に示し、「刑事訴訟法第三十九条には接見できると明記してある。」と強弁するので、石田は、「被疑者の依頼があるか、弁護人選任権者の依頼があるか疏明して貰いたい。」旨述べると、原告は、「被疑者の黙否権行使は憲法で保障されている権利だ。弁護人の接見を拒否するのは憲法違反である。」旨高言するので、これ以上応答するに由なく会見を打切つたものである。

以上の如く、細野及び石田が原告と会見した際、威猛高な態度及び言辞を弄したのは原告自身であつて、細野及び石田には何ら不法行為はない。と述べ、

立証として丙第一乃至第三号証を提出し、甲第一号証の成立を認めた。

理由

昭和二十九年六月当時原告が弁護士であつたことは当事者間に争いがない。

成立に争いのない甲第一号証、乙第一号証、丙第一乃至三号証、証人細野進、同石田昇、同内田博郎の各証言並びに原告本人尋問の結果に弁論の全趣旨を綜合すると次の事実が認められる。

すなわち、原告は昭和二十九年四月以降弁護士として東京合同法律事務所に於て法律事務に従事していたが、同年六月十五日同事務所に当時日本共産党機関紙「アカハタ」等の販売に従事していた訴外日高正夫が訪れ、原告に前日の十四日午後六時頃、仲間の東山という者が東京駅八重洲口で「アカハタ」を販売中、鉄道公安官に公務執行妨害の容疑で不当に逮捕され、丸之内警察署に留置されているから弁護を依頼したい旨を申出でたので、原告は被疑者に面会するため右日高と共に同日午後三時頃丸之内警察署を訪れ、同署一階カウンターの内側で、当時警察官として同署公安主任の職にあつた訴外細野進に面会した。その際両名から半米程離れたところには前記日高が立つていただけであるが、一間程離れたところには数名の交通事件の被疑者が居り、更にその附近には数名の警察官が執務していた。原告は先ず自分の職業姓名並びに前記日高から聞いた事件の概要を述べ、その被疑者の弁護人選任届を出したから面会させて貰いたい旨申出でたところ、右細野は「その被疑者は現在取調中であるが捜査も進展していないし、公安事件でしかも被疑者が黙否権を行使しているから会わせるわけにはいかない。」旨答え、原告の被疑者との接見の申出を拒んだので、原告が「そのような理由で弁護人となろうとする者と被疑者との接見を拒むことはできない筈だ。」と云つたところ、細野は「それは法律にも書いてある。弁護士なら誰でも会わせるというわけにはいかない。被疑者もまだ先生をお願いすると云つていないし、保佐人或いは後見人等の依頼書もなければ会わせることはできない。」旨述べたので、原告は所携の鞄から小六法全書を取り出し、「どこで黙否権を行使していると接見できないということが書いてあるのか」と云うと、細野は「そんなことは弁護士なら知つているだろう。」と云うので、原告は「いや、知らないから示して欲しい。公安事件で黙否権を行使しているから会わせないというのは人権侵害ではないか。」と云うと、細野は「人権の問題は人権擁護局へ行け。」と答える等、両者の間に室内に響き渡るという程度ではないにしても或る程度激しい口調で、五分乃至十分間程押問答がなされた挙句、細野は「そんなことを知らないと胸のバツチ(当時原告が着用していた弁護士記章のこと)が泣くぞ。」と云つて立上り話を切り上げて立ち去ろうとしたので、原告も立ち上つて細野を呼び止めたが同人は応じないのでそのまま二階に引き上げて行つた。丁度その時、当時丸之内警察署署長であつた訴外石田昇が署長室から出て来たので、原告は同人に面談を求め署長室に入つたが、その際同室には当時警察官として同署に勤務していた訴外山水利仁も同席していた。そこで原告は自分の職業、姓名を明らかにした上、「道路交通取締法違反か鉄道営業法違反かの容疑でこちらに逮捕されている被疑者に面会したく、今、係官に交渉したら断わられたが会わせて貰いたい。」と云つたところ、石田が「係官が拒んでいるのなら会わせられないが、あなたは弁護届を出したのかどうか。」と云うので、原告が「その被疑者は「アカハタ」の駅売り中逮捕された者で、自分はその弁護人とならうとする者だから会わせて貰いたい。」と云つたところ、石田が「その者は黙否権を行使していてさつぱりわからないが、一体どういう人で、あなたはどういう関係で弁護人をされるのか。」と聞いたので、原告が「そんなことは答える必要はない。刑事訴訟法第三十九条第一項には弁護人となろうとする者には会わせなければならないことになつている。」と云うと、石田は「そんなことはない。誰にでも会わせられるというものではないし、あなたは弁護人ではない。公安事件はその性質上会わせないことが多い。」旨答えて原告の申出を断つたので、原告は所携の鞄から小六法全書を取り出して刑事訴訟法第三十九条の箇所を開き、同条に規定する弁護人となろうとする者には、未だ弁護人ではないが被疑者が弁護人として選任しようとする意思が略略確実に予想される場合にその依頼を受けて弁護人となろうとする者をも含まれるものである旨述べる等原告が刑事訴訟法第三十九条により接見をなし得る者であるか否かについて押問答があつた末原告から更に接見を求められたところ石田は「この事件は検事の接見禁止命令が出ているから会わせられない。」と云うので、原告が「未だ送検前であるから接見禁止命令が出る筈はないし、接見禁止命令は裁判官が出すものであるから、仮りに検事から出されたとしてもそれに従う理由はないではないか。あなたは独立の捜査官でありながらそのような命令に従うほど見識がないのか。」と云うと、石田は「検事に接見禁止について相談しようと思つていた趣旨である。」と釈明したが、なおも原告から接見を拒否する法律上の根拠を追究されるや石田は「青二才のくせに生意気云うな。」「今は暇だから聞いてやるが、君はよくいろいろ理屈を云う奴だ。」等の言が発せられるに至つたので、原告が「あなたは私が屁理屈を云うというけれど、あなたのように青二才というような個人的侮辱にわたるようなことを云つた憶えはない。」と云うと、石田は「いや、青二才の云うようなことを云う意味だ」と釈明する等両者の間に右のような趣旨の問答が十五分乃至二十分間程繰り返されたが、結局原告は被疑者との接見ができないまま双方とも話を切り上げ、お互いに挨拶をして別れた。

右の如く原告は被疑者と面会できなかつたが、翌十六日、偶々前記被疑者が東京地方検察庁の同行部屋に護送された際、同じ東京合同法律事務所の柴田睦夫弁護士と同事務所事務員小川好友の両名が当時右同行部屋の係りであつた訴外小渕辰五郎巡査を通じ、右被疑者から丸之内警察署留置番号第八百二十六番なる名義で同被疑者が指印を押捺し、小渕巡査の右指印が右留置番号の被疑者の指印に間違いない旨の認証文言が附記され、弁護士岡林辰雄、同柴田睦夫及び原告の三名を弁護人に選任する旨記載された弁護人選任届を入手したので、翌十七日、原告は右弁護人選任届を持参し、当時右被疑事件の担当検察官であつた東京地方検察庁特捜部所属の訴外内田博郎副検事に面会し、原告は自分の職業、姓名を明らかにした上、右弁護人選任届を提出し、「アカハタ」の駅売り中逮捕され丸之内警察署に留置されている被疑者に面会したいから接見に関する指定書を貰いたい旨申出た。ところで、右内田はこれより先丸之内警察署より右被疑事件の送致を受け、その翌日東京地方裁判所裁判官に勾留請求をなし、更に接見禁止等に関する処分を請求し、それと同時に接見等に関する指定処分書(同書面は別に検察官の発する指定書によつて接見の日時等を指定するもの)を三通作成し、一通を被疑者に、一通を代用監獄の長である丸之内警察署長に交付して貰いたし、先に被疑者に弁護人選任の意思の有無を尋ねたところ考えておくという程度であつたので、もし弁護人と被疑者との間に面会又は物の授受があれば当然丸之内警察署からは連絡があると思つていたのに、突然原告から弁護人選任届を提出されたので不審に思い、どうしてこの弁護人選任届が作成されたのか原告に問うたところ、原告が前記の如き作成された事情を述べたので、念の為め小渕巡査を呼んで確かめたところ、右弁護人選任届は被疑者を夕方帰りの護送をする前の忙しいときに作られたので指定処分書の出ていることを失念し弁護士の云うままに作成したのであるとの説明があり、且つ、その際小渕巡査は、右弁護人選任届を取りに来たのは三十才位の弁護士であつたけれども原告ではない旨を述べた。そこで原告と内田との間で、被疑者の署名のない弁護人選任届の訴訟上の効力について議論があつたが、結局内田が右の如き弁護人選任届は受理できない旨述べると、原告は「とにかく被疑者に面会したいから接見指定書を貰いたい」と云うので、内田が「選任権者からの依頼状でも持つて来て欲しい」と云うと、原告は「この弁護人選任届の効力については法律上争いがあるかも知れないが、特定の被疑者が特定の弁護士を弁護人に依頼したいという意思を表示していることの疏明にはなるのだから接見指定書を貰いたい」と云つたところ、内田は「この弁護人選任届には三名の弁護士の名前が書いてあるが、あなたは初対面ではあるし、他の方は面識がないように思うのでどなたかどなたかはつきりわからないし、あなたが弁護士の後藤昌次郎であるかどうかわからない。」と云つたので、原告はその不当であることを主張したが結局容れられないので辞去したが、その帰途、原告は或いは自分が弁護士の後藤昌次郎であることの身分証明書を出せば接見指定書を貰えるかも知れないと考え、東京弁護士会に行きその旨の証明書を貰い、同日午後一時頃再び内田を訪れ、右証明書を呈示して「自分が弁護士の後藤昌次郎であることは間違いないから被疑者に合わせて貰いたい」と申出たところ、内田は「実は昨日地裁に勾留請求をしており、今日被疑者の勾留尋問があり書類も地裁の方に送つてあるが、勾留状が出るか出ないか未定の状態である。もし明日勾留状が出れば被疑者を呼んで弁護人依頼の意思を確かめて指定書を出すから明日午前十一時頃来て貰いたい。」と云つたので原告も了承して帰つた。一方、内田は同十七日タ刻右被疑者に対する勾留状が発せられたのを知り、右被疑者を検察庁に同行させて弁護人の依頼について尋ねたところ、岡林弁護士と原告を弁護人に選任したい旨述べたので、翌十八日、内田は原告に会い、午後四時から午後五時までの間十五分間と定めた接見指定書を原告に交付した。その後内田は丸之内警察署に電話で連絡し、伝言があるから原告が来たら自分のところに来るように依頼した。原告は同日午後四時頃接見指定書を持つて被疑者に面会するため丸之内警察署を訪れたところ、前記細野から内田からの伝言を聞いたので検察庁に引き返し内田に会つたところ、内田は被疑者に会つて弁護人依頼の意思を確かめたこと並びに黙秘権を行使していると弁護人選任届を受理できないことを被疑者に伝えて欲しい旨述べ、接見指定書の接見時間を変更してこれを原告に交付した事実が認められ、前掲名証拠中、右認定に反する部分は措信し難いところである。

そこで考えてみると、前記細野の「そんなことを知らないと胸のバツチが泣くぞ。」石田の「青二才のくせに生意気言うな。」「今は暇だから聞いてやるが、君はよくいろいろ理屈を言う奴だ。」という言葉は、原告の右両名に対して述べた被疑者との接見に関する法律上の意見が全く根拠のないものではないにしても、両名が経験している実際上の取扱とは可成りかけ離れたもので、細野並びに石田としてはにわかに受け容れ難い主張であつたため互に意見が対立したときに、しかも原告が右細野等の意見に対し被疑者との接見を求めんとしてその法律上の根拠を追究するのあまり相当にしつように且つ或る程度激しい口調でこれに応酬したため細野、石田としては多少興奮した状態において発せられたものであるにせよ、原告が特段相手方を侮辱するような言辞を弄したものとは認め難いに拘らず、弁護士としての職務上の接渉に当つてしる原告に対し発せられた言辞としては、その言葉自体がまさに原告を侮辱しその名誉権を侵害したものというべきである。細野ならびに石田が警察官であり、警察官がその職務上他人に対しときに高圧的又は侮辱的な言辞を弄することがあるとしても、それは巳むを得ざる場合にのみ看過されるにすぎず、決して職務上このような言辞を使用することが許されるべきものでないことは言うまでもない。とすれば警察官のかかる言辞であつてもそれが個人の名誉権を侵害した場合には、その行為に対して責任が問われるのは当然のことである。而して細野並びに石田は当時東京都警視庁管下の丸之内警察署の職員であり、右言辞はその職務を行うについて発せられたものというべきであるから、被告東京都は原告に対しこれが賠償する責あるものと言わなければならない。而して原告が昭和二九年四月以降弁護士としてその業務に従事していること、訴外細野ならびに石田が右言辞を述べるに至つた事情が前認定のような状況によるものであること、訴外細野及び石田の警察官としての地位等を勘案するとその損害額は細野について金一万円石田については金一万円を相当と認める。

次に内田の言辞について考えてみると、原告が同人に面会する際自分の職業、姓名を明らかにしているにも拘わらず、内田が原告に対して述べた「あなたが弁護士の後藤昌次郎であるかどうかわからない。」という言葉は前認定のような前後の状況を考え合わせると、右の言葉自体は客観的には必ずしも原告の名誉を毀損したものとは認められない。即ち前認定のとおり弁護人選任届の作成された事情が異例のものであり、且つ、原告の接見申出が従来取扱われていた弁護人選任届に比較しその形式上も不備な書面に基く突嗟な出来事であつたため、内田としてもその措置に窮し原告が果して右弁護人選任届に記載された三名の弁護士のうち誰に該当するかわからないという趣旨で述べたものと認められ、内田が被疑者に原告を接見させまいとする意図が窺われるにしても原告を侮辱する意思を以てなされたものとは認め難いところである。

又「黙秘権を行使していると弁護人選任届を受理できない」旨の伝言を原告に依願したことも内田として被疑者の氏名を明らかにする意図を以て為されたものであることは容易に認められ被疑者の利益を擁護すべき弁護人たる原告にこのような伝言を依頼することは検察官として非常識なことではあるが、内田に原告を侮辱する意思は認められず又客観的に見てかかる行為が直ちに原告を侮辱しその名誉権を侵害したものとは認め難いところである。

されば、内田の右言辞が原告の名誉を毀損したことを前提とする原告の被告国に対する請求は失当という外はない。

よつて、被告東京都に対する請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、被告東京都に対するその余の請求及び被告国に対する請求は失当として棄却すべく、仮執行の宣言はこれを付するを相当でないと認めるから、これを求める原告の申立を却下し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、第九十二条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 三淵嘉子 深谷真也 新谷一信)

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